できていく過程をみれるのは幸せなんだ。

昨日の関西オープンソース2004で日本Rubyの会の高橋さんが「なぜ日本Rubyの会をつくったのか?」という点に関してこんなことを言っていた。(こんなニュアンス程度でみてください。一語一句メモってたわけではないので)

私は数年前に「ruby-dev」「ruby-list」というMLでRubyをどうするべきかという議論に触れて、プログラミングの知識をつけていった。Rubyは現在完成形に近いので、このごろはRuby本体の話よりも、ライブラリやRubyをつかったアプリケーションの話が中心になってきている。なので、現在Rubyに関しては深い知識を得る場がすくなくなってきている。そういう場を提供していくために「日本Rubyの会」というのがあってもいいんじゃないかと思った。

RubyRubyでいろいろと悩みがあるんですね。最初から使っている人たちばかりではないので、途中参加組をどうやって引き上げていくか?というのは共通の問題になっていくかも。

その点、Seasarid:higayasuo さんがどういう考えで Seasar をつくっていってるか?ということをリアルタイムで共有できるという幸せなタイミングである。周りの人もそれにただついていくだけではなくてしっかり議論している。

こういう過程に立ち会えているということを幸せと思う。Seasarの議論で「これは!」という部分に関して、Mapleに取り込んでいこう。(できればSeasarの議論に加われれば一番なんだが、追いついていくだけで精一杯だし・・・)